修験-歴史遺産の継承

当院は、福岡(行橋)、東京(赤坂)、名古屋(金山)、大阪(難波)、 (札幌、沖縄、ニューヨークは現在休眠中)に各本院を構え、法話、成功論、講習会などを定期的に行なっております。宗教の行き着く先は、皆が間違いなく豊かになる事、成功する事であり、家族が病気をしない事、トラブルに巻き込まれない事であります。それを現実化、持続するために経典や、コーランを読んだり、お瀧に打たれたり、神楽を拝見したりするなか自分の深いところにある大切なものを探していくのです。宇宙と対話し、共存共栄を図りながら、それ以上の自分の別格になるものを探し、確認していくこと、宇宙との調和。それをまとめて「真理」というのです。

また、九州本院では開院当初より、「六峰会修験本坊」として連綿と続く山岳修験を守り続け、求菩提山 春峰・秋峰奥駈修行 峰中修行会、寒行、断食籠行、盂蘭盆会、星供養会などの年中行事を行っております。

その一つであります求菩提山春峰・秋峰奥駈修行 峰中修行会とは、深山幽谷に身を置き、我と向き合い、宇宙、天地一体となる修験道を受け継ぎ、当院の伝統である秋峰修行 金剛界の行のひとつであります。

—求菩提山 秋峰奥駈修行 峰中修行会 入峰式より—

 本日はめでたく深く當山求菩提山の法流を信じ、秋峰修行でござるが、當山の事、一言申し述べておき候 されば當山求菩提山は1492年の歴史を持ち、寺として開かれたのは1272年前にて候

 開山猛覚魔卜仙 行善上人 釋頼厳和上の教心今につたわる 當山は平安の昔、崇徳天皇の御病気のみぎり 求菩提修験僧 釋頼厳和上が迎えられ玉躰を加持し極めて験徳有りて、その功により勅願寺となり、霊験は国家守護安穏として、護摩供は勅宣大護摩供として四海に名をはせ申した。
當山は最盛時、求菩提山内に坊舎五百の寺院に修験者 2000人が修行を重ね、信徒は近隣諸国に20万件を有していた。当山は天皇家宮家勅願時にして、古くは豊国の奇巫 豊国法師と言われる。

 豊国の奇巫は天武天皇、そして朝廷の政治に連綿と深く関わり、物部守屋、中臣勝海の失政に於いて、穴穂皇子、蘇我馬子の招請、用命天皇の詔により玉躰加持を務めし霊医術の祖である。用命二年 聖徳太子の世 日本の国初めての仏教寺院 中山寺建立にては導師を務め、後には中山寺の住となりしものなり。豊国法師は「古神道」、「道教」、「易経」、「太極」、「北極星」、「太一」、「六十四星」、「六十四卦」、「六十四州」、「八洲一宇」、「仏教」、「儒教」を修めし陰陽師など八幡神の藤原京、平城京にて色あざやかに活躍するものなり。八幡神の大出世は、はからずとも聖武天皇、光明皇后の詔にて候。八幡神は空海、最澄も嵯峨天皇も寺院勧請し八幡大菩薩となる。

 その広がりは日本で一番多い神社と化す。東大寺大仏建立 日本全土の国分寺建立 東大寺内において求菩提山 中宮をそのまま手向山八幡宮として建立するものなり。紫微中台、天皇大嘗祭にも色こく影響を与えしものなり。豊国法師は国の栄えに命を賭し、神道を道教・仏教にて守護し、神道・仏教中心の国造りに携わりし、日の本の建国の要となりしものなり また豊国法師の議事儀礼は口伝により連綿と一族に伝承されし 求菩提修験の根幹にて候

 當山は甚深秘密の霊峰にして當派の極果に至る所なれば、ここでの秘密の部はたとえ娑婆に出ても親子兄弟夫婦たりとても、特に未入峰の者、他派 輩へは他言は堅く禁制で御座る。

當山求菩提修験は十界修行を元となし、十界修行とは地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声門会、縁覚界、菩薩界、仏界をいう。特にくじきの伏伏の二字の修行 春の峰並びに秋の峰、山修験、里修験、長床和庄の求菩提千日行も等しく夜中とし、御開山卜仙尊師の御恩徳 行善上人 釋頼厳和上の教心に酬いる様心掛け、結縁の峰の面々は別して信心を凝らし、諸願成就を祈るがよろしゅう御座る。

されば霊山説法 山の修行について

 求菩提山秋峰奥駈修行 山岳霊山修行とはいわゆる霊山説法という。霊山灌頂会において、智積菩薩は法華の即身成仏を問い、舎利弗は女人の成仏を疑った。これに対し、文殊菩薩は一乗の不思議を説き、竜女は八相成道の実を示した。重ねて弥勒菩薩は、地涌千界の菩薩の能化を疑い、塔中の世尊は久遠の本地を開顕し、会座をして増道損生せしめられた。

問う

 何の証拠あって華厳をもって初時となし、ないし、法華涅槃をもって第五時とするや。

問いに答えて

一家の引証にまかせば、方便品の文をもって、華厳阿含の次第を証し、無量義経の文をもって、阿含、方等、般若の次第を証し、ないし、信解品の文をもって五時の次第を証するなり。

 次に華厳三照のたとえにいたっては、三照のたとえは三処なりといえども、高山を華厳となし、幽谷を阿含となし、平地において、食事禺中正午の三時を分かち、方等般若法華をたとう。五時の次第誰か狐疑すべけんや。

次に涅槃の五味のたとえに至っては、これまた五味 転変の相、五時の浅深にかなえり。大経に、般若より涅槃を出すと説く。二経すでに同味なり、何ぞこれを証せざらんや。

「受賜う」

四問の一つ 発心門

 仏道に入るため仏に帰依する心 発菩提心の心を起こす義にて候

四問の二つ 修行門

 発菩提心の上 十界六度の心身の修行をして自己の中の仏性の発露を求むる義にて候

四問の三つ 等覚門

 仏の同等の悟りを得る事を等覚の位という。求菩提山 上の宮の結界の門を云う

四問の四つには妙覚門

 最後に仏と一つの境界を妙覚といい、求菩提山より犬ヶ岳 表行場と裏行場あり。ここで修行し新客の心身を鍛える義にて候

 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天道・声聞・縁覚・菩薩・仏という「十界」の段階を経る。この修行を通じ、霊山の神仏より新しき生まれ変わった命をいただき、求菩提山護国寺に再生するという本宗の宇宙観が有る内なる仏、外なる神と出会いながら十界六度を修して気付き、教えられ、験力・法力を身につける事にて候 いわゆる大自然・大宇宙と己が二つで一つの世界になることが修験の極意でござる。